人が辞めても会社に残るものとは?属人化を防ぐ「判断」の引き継ぎ方

人が辞めると、その人の仕事を誰かが引き継ぎます。
手順書を渡せば、一応引き継いだ形にはなりそうです。けれど、引き継げているのは作業の順番だけではないでしょうか。

あの人は、メールの文面を一目見て「このお客さんは電話したほうがいい」と言っていたが、理由を聞いてもうまく説明できなかった。そういう判断は、どの職場にも少なからずあるはずです。

仕事が特定の人に偏る「属人化」の中身は、作業というより、こうした「判断」であることが多くあります。
長く働いてきた人ほど、こうした判断を数え切れないほど積み重ねているのですが、本人にとっては当たり前なので、わざわざ言葉にされることもありません。
人が辞めるとき、そうした人の判断も一緒に出ていってしまうとしたら、とても残念なことです。

人が辞めない会社をつくろうとすることは大切ですが、それでも人は辞めます。だとすれば、その人が身につけたものが、会社に残る仕組みを考えておくことも重要ではないでしょうか。
これは、マニュアルを作って保管すれば終わりということではありません。単にノウハウを継承するという話ではなく、大切なのは、その判断が別の人に「移る」ようになっているかということです。

対象を絞る ― 全部残そうとすると、結局、使えるものが残らない

では、その人が身につけたものが、会社に残る仕組みを考えようと、何も決めずに始めると、本当に消えてほしくない判断は、大量の記録の中に埋もれてしまいます。

「だったら、いっそベテランの仕事を全部記録しておこう」そう考える会社は多いと思います。
ところが、本人しか分からない細かい判断が次々に出てきて、記録は膨らみ、たちまち分厚い資料になります。完成した頃には誰も読む気になれず、作った時点で止まったまま更新もされません。全部を残そうとして、使えるものが残らないのです。

大切なのは、仕事をすべて残すことではなく、その人が辞めたとき会社が本当に困る判断を見つけることです。

それは、次のような視点で絞り込めます。

  • その人が休んだとき、周りが「どうしよう」と手を止める場面はどこか
  • 新人がやると、よく失敗したり、判断が割れたりするのはどこか
  • 判断を誤ると、お客さんや売上に大きく響くのはどこか

手順どおりにやれば誰でもできる部分は、手順書で足ります。
残すべきなのは、「あの人に聞かないと分からない」と言われてきた部分のほうです。
対象は、最初は一つか二つで構いません。小さく始めて、本当に別の人に移るかを確かめてから広げるほうが、結果的に早く進みます。

掘り出す ― 「なぜそうしたのか」から、判断の中身を取り出す

では、実際にそうした判断は、どのようにして見つけていけばよいのでしょうか。
あの人の「電話したほうがいい」の中身が、誰にも見えないまま消えてしまう前に、「あなたの仕事のコツを書いてください」と頼んでも、おそらく書けません。本人にとっては当たり前すぎて、何がコツなのか自分でも分からないのです。

そこで、実際にあった一件を持ってきて、こう尋ねます。

「このとき、何を見て、電話したほうがいいと思ったんですか?」

最初は「なんとなく」と返ってくるかもしれません。それでも、メールを一緒に見ながら聞いていくと、答えが返ってくることが多いものです。

「この一文が気になった」 「前にも似たケースで、こじれたことがあった」 「このお客さんは、困っているときほど返信が遅くなる」

本人が無意識に見ていたものが、場面に触れることで言葉になっていきます。経験を直接言葉にしてもらうのではなく、判断した場面から逆算して取り出す。これが、掘り出すということです。

聞くときは、次の問いが役に立ちます。

  • 何を見て、そう判断しましたか
  • 他にどんな選択肢を考えましたか
  • 迷ったのはどこですか
  • 同じように見えて、違う対応をしたケースはありますか
  • 新人なら、どこで間違えそうですか

なかでも最後の問いは、答えが引き出しやすい問いです。「新人ならどこで迷うか」と聞かれると、本人は自分の判断を一歩外から眺められ、仕事を評価されている感じも薄れます。
そして、この段階では、断片のままで十分です。聞き取りの文字起こしや断片の整理には、AIを使うこともできます。
ただ、何を聞くか、どの断片が本当に判断の中身なのかを見極めるのは、人の仕事です。

使える形にする ― 判断を、他の人が追える形に置き換える

ここまで実行し、無事に聞き取りを終えたとします。ただし、断片のままでは、あの人の判断は本人にしか通じません。次は、他の人が読んで追える形に整えます。

メールの例なら、こうなります。

  • 状況:返信がいつもより遅く、文面も短い
  • 着眼点:このお客さんは、困っているときほど返信が遅くなる
  • 判断:メールで待たず、電話する
  • 理由:返信を待つより、直接聞いたほうが問題を早くつかめる
  • 例外:相手が移動中や営業時間外など、電話がかえって負担になる場合は別の対応をする

「メールが短かったら電話する」という手順だけなら、一行で済みます。ただ、それでは「なぜそうするのか」も「どこまで当てはまるのか」も伝わりません。
着眼点と理由、例外まで書いてあるから、状況が少し違っても、受け取った人が自分で考えられるのです。
ただし、この型を埋めること自体が目的ではないことに留意してください。手順書とは違うものを残そうとしていると伝えるための見せ方にすぎないため、項目は自社に合わせて工夫する必要があります。
さらに、こうして判断を文章にしても、それだけでは、まだ会社に移ったとは言えません。
ベテランの頭の中から、紙の上に置き場所が変わっただけです。使えるものになっているかどうかは、書いた本人にも分かりません。
別の人が使ってみて、初めて見えてくるものです。

移してみる ― 書いたものを、別の人に使ってもらう

紙の上に置いただけの判断は、まだ誰にも使われていませんので、このままでは、人が辞めた日に消えてしまいかねません。最初に触れた分厚い資料も、同じ運命をたどります。
そこで、整理した判断を別の人に使ってもらいます。ここが、いちばん大事な工程です。

では、どのように使ってもらうのか。新人に「これを読んでおいて」と渡すのではありません。
実際にあった事例を見せて、先ほどの整理を使ってどう判断するか考えてもらい、ベテランの判断と並べます。
どこが違ったか。

「いや、この場合は電話じゃない」

ベテランがそう言うことは珍しくありません。この、違いがあるということは、書かれたもののどこかに、まだ足りないものがあるということです。

  • 書かれていない条件が、実はあったのではないか
  • 「困っている」の意味が、曖昧だったのではないか
  • ベテラン自身も、まだ言葉にできていない判断があったのではないか
  • そもそも、書いてあること自体が間違っていたのではないか

これを一緒に確認します。

ただし、間違ってほしくないのは、ここはベテランが新人を採点する場ではないということです。
会社の判断基準を、みんなで直していく場だという意識で進めていく必要があります。
新人の「なぜですか?」という素朴な問いを大切にします。ベテラン本人も気づいていなかった判断を引き出すことがよくあるからです。

例えば、新人が「返信が遅いので電話しました」と答えたとします。ベテランは「この相手には、電話は逆効果だった」と言う。理由を聞くと、「このお客さんは、いきなり電話されるのを嫌がる。まずメールで一言入れてから」と返ってくる。最初の整理のどこにも書かれていなかった例外です。
こうして、一行が加わります。

ここで、よくある話につながるのですが、「マニュアルは作ったのに、誰もその通りに仕事をしない」こういうとき、「社員が読まない」「新人の意識が低い」というように考えがちです。
けれど、そのマニュアルは、実際の判断に使えるところまで作り込まれていなかったのではないでしょうか。
誰かが使ってみて、ズレを直す工程を一度も通っていないからです。

書いたものを渡しただけでは、まだ引き継ぎではありません。別の人が使い、ズレが見つかり、直して、もう一度使う。この繰り返しによって、少しずつ「その人の判断」が「会社で使える判断」に変わっていきます。

回り続ける仕組みにする ― 使われ続け、次の人に渡っていく状態へ

一度移せても、使われなくなれば、その判断はまた静かに消えていきます。仕事もお客さんも変わるので、誰が見直すのかが決まっていないと、判断の中身は古びていきます。
マニュアルやノウハウといったものは、記録した時点で劣化が始まります。
本当に残すべきは、「判断」です。
そして、その「判断」は、記録するだけではなく、人に移す過程を経てようやく仕組み化できるのです。
さらに、それを回り続ける仕組みにするには、その役割を担う人を、あらかじめ決めておくことも大切です。一つ移す。使う。直す。うまく回ったら、次の判断を移す。この循環を何度か回すうちに、「どう聞けば出てくるか」「どこまで書けば使えるか」が、その会社なりに見えてくるでしょう。

もう一つ、見落とされやすいのが教える側の気持ちです。自分の判断を渡すことが、自分の代わりを作ることのように感じられると、人は出したがりません。逆に、こんな場面があったらどうでしょうか。

自分が教えた判断を使って、後継者が一人でお客さんに対応できるようになった。うまくいった件を、その人が「あのとき教わった見方が役に立ちました」と話してくれる。
自分が積み上げてきたものが、次の人の仕事の中で生きている。それが本人に見える形で返ってくる。
これなら、居場所がなくなるどころか、自分の仕事の意味が一段はっきりします。判断を出すことが損にならない職場とは、こういう場面が実際に起きている職場だと思います。

おわりに ― 人は辞める。だから、移しておく

人は辞めます。だからこそ、「辞めないようにする」だけでなく、「辞めても残るもの」を増やしておく。
そのために、まず「この人が辞めたら困る判断」を一つ選ぶところから始められます。

ただ、残すこと自体が目的ではありません。その人が持っていた判断が別の人に移り、その人がまた次の人に渡せるようになる。そこまで届いて、はじめて経験は会社のものになっていくのではないでしょうか。

冒頭の問いに戻ります。人が辞めても、会社に残るものはあるか。

作業の順番だけでなく、判断が移っていれば、あります。

<「現場の見方」について>

「現場の見方」は、職場で一般的に起こり得るさまざまな出来事を題材に、そこにある職場の構造について考えるコラムです。
人の行動や職場で起こる問題を、個人の能力や性格だけで捉えるのではなく、その背景にある仕組みや前提から見ていきます。
筆者を含むサイト運営が、個別のご相談や顧問先から伺った事情を、コラムの題材として無断で使用することはありませんのでご安心ください。

職場の構造、一人で抱えていませんか

ここで取り上げたような問題は、精神論や個人の頑張りでは解決しません。会社が制度として設計し、投資すべき「仕組み」の問題です。
当サイトの運営者である社会保険労務士事務所では、御社の状況をお伺いしながら、職場の構造を整えるための制度設計や、助成金の活用をご支援しています。

運営者情報を見る >>