その先には、誰がいるのか

仕事では、こんな場面が起こり得ます。
取引先に、その取引先のお客様へ、あることを確認してほしいと依頼したところ、担当者から「そんなことがあるはずはない」と何度も聞き返されました。連絡した社員も違和感を覚えて上司に相談しましたが、返ってきたのは「とりあえず、そのまま確認してもらって」という指示でした。
結果は、最初の情報が誤りでした。そのお客様に確認する役を担った取引先の担当者は、厳しく責められました。謝罪の電話をかけたのは、指示を出した上司ではなく、違和感を伝えた社員でした。
誰かが特別に不注意だったとは限りません。「手順通りに」進める」「謝るのは現場」。こうした前提が重なると、止まれる機会があっても止まらないまま進みます。
一つの指示が、社外の信用にまで届く
この指示自体は、理不尽なものではなかったかもしれません。
現場からの相談を一つひとつ検証していては業務が回らない、まずは決められた手順で進めてほしいという判断には、業務を止めないという意味で一定の合理性があります。
日々の業務では、こうした「とりあえず手順通りに」という指示は珍しくないはずです。

ただ、止まれるタイミングは、何度もあったはずです。こうした違和感を、もう一度確認する場面が手順の中になければ、いったん出てきた疑問も、そのまま先へ流れてしまいます。しかも、その影響は取引先を越え、お客様の信用にまで及びます。
軽く見ていたのは、影響の範囲そのもの
ここで見えてくるのは、誰かの判断が誤っていたという話よりも、その指示が組織の外にまでどう届くかが、想像されないまま進んでしまったという話です。
取引先の担当者は、自分のお客様との関係を守るために、厳しく責められながらもその場を収めてくれました。

言ってしまえば、取引先が自分たちの信用を使って、この会社の失点を一緒に引き受けてくれたということです。
社内の手順としては、効率的で妥当な判断だったのかもしれません。けれども、その判断はお客様にまで届き、取引先がそのお客様との関係のために泥を被ってくれました。
ここまで見えて初めて、この一件の重さが分かります。効率を優先した指示ほど、その先で誰が負担を引き受けることになるのかは、見えにくくなります。
「誰が謝るか」より、「誰が引き受けるか」
問題は、誰の判断が正しかったか、誰が悪かったか、ではありません。その判断が、取引先やその先のお客様にどれだけの負担を生んだのか。そして、その結果を組織としてどう引き受けるのか。ここを分けて考える必要があります。
実際に頭を下げたのは、判断した上司ではなく、違和感を伝えた社員一人でした。これは誰かの意地悪ではなく、「謝るのは現場」という前提が、そのまま働いた結果とも言えます。
その一本の電話の裏で、取引先がどれだけのものを引き受けてくれたのかを、組織として見ないまま済ませてしまうと、結果に向き合ったことにはなりません。
現場の一言をどう扱うか
現場の一言をどう扱うかは、単なる現場対応ではありません。そこには、その会社が「現場から上がってきた情報をどう扱うのか」「その判断の影響がどこまで届いているのか」「誰が結果を引き受けるのか」という、組織の姿が表れます。
効率を優先した判断自体は、どの職場にもあります。問題は、取引先が負担を引き受けてくれたことに気づかないまま、違和感を伝えた社員一人に処理させて終わる仕組みになっていることです。
こうした一部始終を、周りの社員が見ていたら、どう感じるでしょうか。

「この会社は、この程度なんだ」
そんなふうに、会社を見る目が少しずつ変わっていくこともあるのではないでしょうか。もちろん、一つの出来事だけで会社全体を評価できるわけではありません。けれど、社員は日々の小さな出来事から、自分の職場がどんな場所なのかを感じ取っています。
それは、突然「辞めたい」と思うような大きな不満ではないかもしれません。けれど、会社に対する信頼や、「この会社のために」という気持ちが、少しずつ目減りしていくことはあります。
こうした違和感は、いわばノイズです。一つひとつは小さく、口に出されることもなく、経営の目に触れることもありません。けれど、鳴らないまま消えるわけではなく、社員の中に少しずつ積み重なっていきます。そうした積み重ねは、やがてエンゲージメントの低下として表れ、離職や生産性といった数字になって、後から経営に返ってくることもあるでしょう。
「その先には、誰がいるのか」
取引先の先にいるお客様を見ること。取引先が何を引き受けてくれたのかを見ること。そして、それを見ている社員自身の目にも、会社がどう映っているかを見ること。目の前の仕事だけでは見えないところまで見ると、職場の構造も少し違って見えてきます。
<「現場の見方」について>
「現場の見方」は、職場で一般的に起こり得るさまざまな出来事を題材に、そこにある職場の構造について考えるコラムです。
人の行動や職場で起こる問題を、個人の能力や性格だけで捉えるのではなく、その背景にある仕組みや前提から見ていきます。
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