臨機応変が当たり前の職場で、起きていること

─「我が強い」という評価は、なぜ生まれるのか
「もう少し臨機応変に動いてほしい。」
職場では、ごく自然に使われる言葉です。
困っている人がいれば助け合う。
急な仕事が入れば、できる人が対応する。
そんな姿勢は、組織を支えるうえで欠かせません。
私自身も、臨機応変であることを否定したいわけではありません。
ただ、一つ気になることがあります。
臨機応変であることが、美徳ではなく前提になっている職場です。
臨機応変は、本来「例外」のためにある

本来、臨機応変とは、予定外の出来事へ柔軟に対応することです。
ところが、人手不足や役割分担の曖昧さから、臨機応変に頼らざるを得ない職場も少なくありません。
「ちょっとこれもお願い」
「今日だけお願い」
「みんなやっているから」
その場では、どれも小さなお願いです。
けれど、それが日常になると、誰が担当する仕事なのか、どこまで引き受ける仕事なのか、優先順位は誰が決めるのか。
そうした約束事が少しずつ見えにくくなっていきます。
役割が曖昧だから、臨機応変に頼る場面が増える。臨機応変が増えることで、さらに役割が見えにくくなる。
そんな循環が生まれてしまうことがあります。
そこで、違いが目立つようになる

こうした職場では、それぞれの働き方の違いが、より目立つようになります。
一人は、頼まれれば断れず、自分の仕事を後回しにしてでも引き受ける人です。
「助かるよ」
「本当にありがとう」
そう言われることも多いでしょう。けれど、その人には少しずつ仕事が集まり、気づけば「断れない人」になってしまうことがあります。
もう一人は、自分の役割や優先順位を確認する人です。
「今日は難しいです」
「先にこちらを終わらせてもいいでしょうか」
「担当を確認したいのですが」
どれも、仕事を円滑に進めるための確認です。
それでも、時に、
「あの人は我が強い」
「融通が利かない」
「協力的じゃない」
そんな評価につながることがあります。
「我が強い」と感じる理由
もちろん、その人自身の性格や考え方が影響していることもあるでしょう。
一方で、管理職には、現場を予定どおり回さなければならない責任があります。
人手不足のなかで現場を回そうとすれば、「もう少し協力してほしい」と思うのも自然なことでしょう。
だからこそ、「我が強い」という言葉が生まれる背景を、一度立ち止まって考えてみたいのです。
その人は、本当に自分勝手だったのでしょうか。
それとも、曖昧になっていた役割や優先順位を確認しただけだったのでしょうか。
あるいは、その両方が重なっていたのかもしれません。
便利な言葉は、考えることを止めてしまう

「臨機応変に」
「我が強い」
どちらも職場でよく使われる言葉です。
便利な言葉だからこそ、私たちは、その一言で納得した気になってしまいます。
でも、その言葉の先には、本来考えるべきことが残っています。
- 役割は整理されていただろうか
- 優先順位は共有されていただろうか
- 判断する人は決まっていただろうか
便利な言葉は、ときに考えることを止めてしまいます
「もっと臨機応変に」
そんな言葉が増えてきたとき、なぜ、この職場では、これほど“臨機応変”が必要になっているのでしょうか。

