「この人と働きたい」と「この人がいないと困る」は違う

「この人と一緒に働きたい」。そう思える人がいる職場は、きっと良い職場です。信頼できて、話しやすくて、困ったときに助けてくれる。そんな人たちと働けたら、仕事は楽しいものになります。だからこそ「何をするかより、誰とするか」という考え方が、多くの経営者や本の中で語られてきました。これは決して間違っていないと思います。
ただ、小さな会社の現場を見ていると、時々、気になることがあります。その「誰と働きたいか」という気持ちは、本当に自由に選ばれたものなのでしょうか。それとも、その人がいないと仕事が回らないから、仕方なく一緒にいるだけなのでしょうか。
「この人と働きたい」と「この人がいないと困る」は違う
たとえば、ある社員に仕事を任せるとします。「この人なら安心して任せられる」と思えるなら、それはとても健全な人間関係です。でも「この人に聞かないと、やり方が分からない」となると、少し話が変わってきます。さらに「この人が休むと、誰も判断できない」となれば、それはもう信頼関係というより、仕事そのものが特定の人に依存している状態です。
「この人とやりたい」と「この人がいないとできない」は、同じ人間関係のように見えて、実はまったく違うものを指しています。前者には選ぶ余地がありますが、後者にはそれがありません。仕事が誰かにしがみついている状態を、つい「あの人がいてくれて助かる」という温かい言葉で語ってしまいがちですが、その温かさの裏側で、実は組織としての脆さが静かに積み上がっていることがあります。
人間関係に、仕事を背負わせない

職場で人間関係が仕事を助けることはあります。困っている同僚に声をかける、経験のある人が新人に教える、忙しいときに手伝う。こうしたやり取りは職場を温かくしてくれますし、それ自体は何も悪くありません。
問題になるのは、その関係がなければ仕事そのものが成立しなくなっている場合です。
情報が共有されていないから、あの人に聞くしかない。判断基準が決まっていないから、あの人に決めてもらうしかない。役割が曖昧だから、仲の良い人にお願いするしかない。そうなったとき、人間関係はもう仕事を助けているのではなく、仕事を成立させるための機能そのものを背負わされています。だからその関係は簡単には切れなくなります。「あの人とは仲が良いから」ではなく「あの人がいなくなると本当に困るから」、離れられなくなるのです。これは人間関係が強いというより、むしろ仕事の仕組みが弱いというサインなのかもしれません。
仲が良くても、仕事とお金が絡むと話は変わる
普段は仲の良い二人でも、仕事になると意見がぶつかることがあります。昨日まで一緒に笑っていたのに、今日はなぜか揉めている。そんなことは決して珍しくありません。
どちらが悪いのだろうと、つい考えたくなります。もちろん、どちらかに明確な問題がある場合もあるでしょう。でも仕事には役割があり、責任があり、評価があり、そして多くの場合お金が絡んできます。仲の良さだけでは決められないことが、そこには含まれています。
「私がやっておくよ」という善意は、続くうちにいつの間にか「なんで私ばかり」という不満に変わります。「今回は譲るよ」という気遣いは、繰り返されるうちに「いつも私が譲っている」という記憶になります。
「あの人なら頼める」という信頼は、気づかないうちに「あの人に頼まないと仕事が進まない」という依存に変わっていきます。
人間関係が悪くなったから衝突したわけではありません。人間関係だけでは処理しきれないものが、仕事の中には最初から含まれているのだと思います。
対立したとき、「相手が悪い」で終わらせない
職場で対立が起きたとき、「Aさんが悪い」「Bさんは協力的じゃない」と考えるのは簡単です。実際に、本当に個人の問題であることもあります。でも、そう結論づける前に一度だけ立ち止まって、この対立を人間関係の問題ではなく、仕組みの問題として見られないかを考えてみたいところです。
そもそも誰がやるのかが決まっていなかったのではないでしょうか。判断の基準が共有されていなかったのではないでしょうか。情報が一部の人にしか届いていなかったのではないでしょうか。負担の偏りを確認する方法がなかったのではないでしょうか。もしそうだとしたら、対立の原因はその人の性格だけではなく、人と人をぶつけざるを得ない構造の側にあります。そう考えられれば「あの人を何とかしよう」ではなく「この状態をどう変えれば衝突が起きにくくなるか」を考えられるようになります。
これは個人を甘やかす発想ではありません。誰かを悪者にし続けなくても仕事が回るようにするための、むしろ実務的な考え方です。そしてもちろん、仕組みを整えてもなお同じ問題が繰り返されるなら、そのときはじめて個人の行動や責任について向き合えばいいのだと思います。順番の問題です。
「誰でも回る」から「誰とやりたいか」が自由になる
以前、「良い人間関係は目指すものではなく、残るもの」という記事で、歯車(仕組み)が噛み合っていれば、人間関係は義務ではなく余白から自然に生まれる、という話を書きました。ここまで見てきた依存の話は、その裏返しです。仕事が仕組みで回るようになると、誰とでも働ける状態に近づいていきます。もちろん誰とでも仲良くする必要はありませんし、好き嫌いや価値観の違いは当然あります。それでも「あの人と仲が悪いから仕事が回らない」という状態からは、少なくとも離れられます。
そして、そこまで来てはじめて「この人と一緒に仕事をすると面白い」という感覚が生まれてきます。仕事を回すためにその人が必要なのではなく、仕事は仕組みとしてすでに回っています。そのうえで、この人の考え方が好きだ、この人となら面白いことができそうだ、この人と一緒に新しいものを作ってみたい、と思える。これは依存ではなく、選択です。
ただし、ここにはもう一つの逆説があります。すべてが整った職場だけが良いわけではありません。むしろ、まだ仕組みがないからこそ「一緒に作ろう」という仕事もあります。新しい事業を始めるとき、新しいサービスを作るとき、これまでやったことのない仕事に挑戦するとき、そこには誰かと試行錯誤する時間が必要になります。「この人と一緒にやりたい」という気持ちが、大きな力になる場面です。これは依存とは違います。整っていないものを、一緒に整えようとしている関係だからです。「この人がいないと何もできない」のではなく「この人となら、まだないものを作れそうだ」という関係になります。
だから職場の中には、依存と、協働と、選択という三つの状態が同時に存在しています。

ある業務は誰かに依存したままかもしれませんし、新しいプロジェクトは協働の途中かもしれませんし、別の仕事はすでに選択の関係になっているかもしれません。これは会社が成長するにつれて依存を卒業し、協働を卒業し、最後に選択だけが残る、という一方向の物語ではありません。同じ会社の中に、同じ瞬間に、三つとも存在しうるのです。大切なのは、いま自分たちがどの関係の中で仕事をしているのかを、ときどき見直すことなのだと思います。
人を仕組みに合わせたいわけではない
仕組みというと、マニュアルや管理といった冷たいイメージがつきまといがちです。でも仕組みの役割は、人間関係をなくすことではなく、人間関係から「仕事を回す責任」を降ろすことです。

「助けてもらわなくても、仕事は止まらない」という状態になってはじめて、「助ける」は義務から、「この人だから助けたい」という自由な気持ちに変わります。
誰かが会社を辞めるとき、残った人がその穴を埋め、引き継ぎに時間がかかり、それでもミスが起き、管理者がフォローに回る。人間関係に仕事を背負わせている職場では、こうしたコストが目に見えにくいまま積み上がっていきます。仕組みを整えるのは、人を交換可能な部品にするためではなく、人が抜けたときに残った人まで一緒に壊れてしまわないためです。
人間関係に、仕事を背負わせたくない。そのうえで、この人と一緒に働きたいと、自分たちの意思で選べる。それが、良い人間関係が最後に残る理由なのだと思います。
