売る人が強い職場

数字を出す人が評価され、成果を出す人が稼ぐ。会社は利益を出さなければ続かない以上、それは当たり前のことです。営業の世界では特にそうです。どれだけ真面目でも、どれだけ人柄が良くても、売上がなければ評価されない。

逆に数字を作る人は強い。発言力を持ち、多少無理を言っても通る。現場も逆らいにくい。その人が数字を持っているからです。成果主義の職場では、ごく自然な光景です。

後輩もライバルになります。ノウハウを共有するより自分の数字を追う方が合理的だし、教えることで自分の首を絞めることになるだけで、評価されるわけでもない。共有しない人がいても、不思議ではありません。

現場ではよく「あの人はすごい」という言葉が使われます。しかし、その「すごい」の中身は意外と説明されません。

なぜ売れているのか、なぜ契約が取れるのか、なぜ顧客から支持されるのか。本人にも説明できないことがあり、周囲はもっと分からない。ただ数字だけが見えている。しかし、それで十分なのです。

休日も動き、夜も連絡を返し、顧客からの無理な依頼も受け、誰も見ていないところで工夫する。それで数字が上がるなら、そうした行動は増えていきます。中には会社が想定していないやり方も出てくる。独自の営業トーク、独自の判断、独自の約束、あるいは数字を動かすためのテクニック。成果が出ている間、それらが細かく検証されることは多くありません。まず見られるのは結果です。売れたか、目標を達成したか、会社に利益をもたらしたか。それが最も分かりやすく、重要な評価基準になります。そうして会社を成長させ、人生が変わるほど稼ぐ人もいます。

成果主義は非常に強力な仕組みです。だから今も多くの会社が採用しています。私は成果主義そのものが悪いとは思いません。むしろ合理的な仕組みだと思っています。

ただ、同じ成果主義でも、まったく違う景色を見ることがあります。

営業会議で売れた理由を共有する会社があります。

たまたま取れたで終わらせず、なぜ契約になったのかを皆で検証する。顧客は何に反応したのか、どこで信頼を得たのか、何が決め手だったのか。上手くいったやり方は他の人も試してみる。再現できなければ修正し、再現できれば残していく。エースだけが知っているノウハウを、少しずつ組織のやり方に変えていくのです。

そこでは、「あの人はすごい」で話が終わりません。なぜ成果が出たのか、その成果は他の人でも再現できるのか、もっと良いやり方はないのか。そんな話が繰り返されています。個人の能力を否定しているわけではありません。むしろ成果を出す人は評価されます。ただ、その人だけが成果を出せる状態を目指しているわけでもありません。誰か一人の経験や勘に依存するのではなく、現場全体で試し、現場全体で改善し、現場全体で成果を積み上げていく。そういう成果主義もあります。

属人的な成果主義では、数字は見えても、その作られ方は見えません。会社が把握している工夫もあれば、把握していない工夫もある。現場でしか分からない判断もある。数字だけを見ていると、それらはすべて同じ成果として扱われます。一方で、成果の作られ方まで見える組織では、何が成果につながり、何が成果につながらなかったのかも見えるようになります。成果だけでなく、成果の裏側も見えるようになるのです。

個人が成果を背負う成果主義と、組織が成果を再現する成果主義。似ているようで、まったく違うものではないかと思うのです。

属人的な成果主義は強い、それは間違いありません。
だからこそ、その強さを否定するのではなく、構造を持った成果主義へ変換していく。
そうすることで、属人的な成果主義に内包されるリスクを取り除きながら、成果そのものは維持できるのではないか。
私はそう考えています。
そして、属人的な成果主義の修羅場を経験してきた私が今、社労士として関わることができるのは、後者だけです。